★天使回廊からの夢☆

 
「ただの人間には興味ありません。宇宙人,未来人,異世界人、超能力者がいたら、私のところに来なさい!以上。」
−この21世紀初頭の涼宮ハルヒのメッセージは,地球の意識を先鋭化した形で代弁しており,
形のない光のネットワーク形成を呼びかけていると感じます。
地球はアセンションして新宇宙の無限水平ステージに軌道変容しようとしている。
ハート地球の胎動が聞こえて来,ワクワクドキドキとしませんか☆ 

『緑川玲◇Twitter☆』は、右サイドフリースペース RECOMMEND のすぐ下にあります★

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ROの青年部委員だった天川貴之氏が'90年代後半に要約明らかにした実情とその前からの一連の著書。
天川貴之氏は、まず'90年代後半当初、天之御中主神によるきわめて真面目で賑々しく品格ある神示集を複数刊行していた。よって最初は、元組織を認めており、副次的・補足的に個人で出しているものとずっと思わせられていて、彼程の人が組織の致命的問題をわからないのかと不審に思ったが、その後'99年に発刊された「ユニバーサル・ドリーム・レボリューション」によって初めて、その事が大きく明確に語られた。

それも高級神霊からの神示で、仏陀救世主の地球での役割と存在意義について、天上界との関わりにおいて、真理論・法のあり方を基本論として、具体性はなくきわめてオブラートに包んだ形だが抽象的に大きく述べ伝えられた。それによって、要約JDRのスタンスと霊的立場が世間に公開されたわけである。初めて知り,著者もわかっていた事が確認でき,たいへん感動した。

そしてその後、2000年を過ぎて、「神理の太陽の下に」がJDRホームページで公開されていたのを知り、彼は阪神大震災の起こった直前の'95/1に、かの団体を除名になっていた事を高級神霊の霊言により知った。その事実を、5年程後になって、高級神霊の霊言により初めて公開されたわけである。

それらの内容には多いに共感させられ,JDRの指導霊団もわかっているのだなと感じた。神理の世界から見た理論的にも全く素晴らしい内容だった。

         

'99年「ユニバーサル・ドリーム・レボリューション」天川貴之著

'99年に登場した宇宙の夢による真理の革命宣言◇ユニバーサル・ドリーム・レボリューション

ユニバーサル・ドリーム・レボリューション◇'99年に登場した宇宙の夢による真理の革命宣言





目次

第1章 「宇宙的叡智の時代」聖エオリアス啓示
 第1節 「一なる法と個性の開花」
 第2節 「一なる法則 一なる真理」
 第3節 「宇宙的革命の時代」
 第4節 「宇宙的一即多多即一の真理」
 第5節 「ユニバーサル ドリーム リアライゼイション」

第2章 「宇宙キリスト教の時代」イエス・キリスト啓示
 第1節 「根源なる神の愛」
 第2節 「究極の純粋愛」
 第3節 「十字架の意味」
 第4節 「一滴の愛を与えよ」
 第5節 「コズミッククライスト」

 第3章 「宇宙神道の時代」天御中主神啓示
  第1節 「宇宙神道の立脚点」
  第2節 「日本国の実相」
  第3節 「天孫降臨の時」
  第4節 「絶対無なる『中心者』」
  第5節 「神の星地球の顕現」

  第4章 「宇宙仏教の時代」釈尊啓示
   第1節 「仏陀の本質」
   第2節 「真実なる光を正見せよ」
   第3節 「大宇宙の理法に立ち返れ」
   第4節 「純粋なる愛に立ち返れ」
   第5節 「宇宙仏教の時代」

第5章 「ユニバーサル ドリーム レボリューション宣言」聖エオリアス啓示


天川 貴之氏に啓示された、限りなくピュアで一直線な神(高級神霊)の言葉。
威勢を放つのではなく,正統性を主張するのでもなく,力を誇示するのでもなく,一見低い意識の読み方でそう書いていると浅読みする向きもあるだろうが、ここで宣言されている内容は,新ミレニアムに向けての高らかな愛と夢による世界への革命の真理の宣言である。
−そこに偏狭な地上の人間のような私たちから見て醜く感じるエゴはない。
彼らは,自らの役割を果たそうとして一生懸命である。天で決められた、より宇宙の普遍的計画による使命の顕われと見える。

さすればその使命,内容の真理の革命とは何か?
新時代に向けての,宇宙へとつながる古くて新しい普遍的な宗教概念・理念であり精神の再発見、鼓舞による革命と私は見る。
これまでのローカルな個性の個々の正統性ではなく,宇宙の永遠の世界に通じるこれまでのローカルな世界宗教や精神の本質の高次元の宇宙の本質から見た理念やあり方についての解明と宣布である。

別に全然難しいものではなく,これまで各宗教等で説き尽くされてきた当たり前の愛や信仰を,新たな宇宙の夢と革命などのより高い境地の新鮮な展望スタンスより、当時の状況などとリンクさせ、わかりやすく説き明かしている。

まさに、気付かなかった,真理の新たな高い宇宙からの本質を,ミレニアムに向けて天川時空より放たれた、ブルーの槍による衝撃のサプライズの1冊。
まるで闇から立ち上がった高級モドキのような情熱のない霊言や,仏法真理(古くさい表現)などを学び、その行き先に不安と混乱と疑念を持ち続けている人たちは,読んで絶対に新しい視界と境地を遠望でき、与えられ獲得できる内容である。

ただこの本は1999年に書き表された書であるので,
本書の普遍的以外の3次元に影響される流動的内容が,10年以上経った現在でも変わっていないかどうかは、保証の限りではない。
しかし当時は,インターネット上に公開されたより時流にあった具体的な啓示と合わせて,旬で当時の霊的背景を反映し,問題の解決への一つの蜘蛛の糸であったことは、強く確信できる。

感性的には,これとインターネット上の啓示「真理の太陽の下(もと)に」を精神的霊脈的頂点として,時系列として富士山のような山の形を描いていたのではないかと個人的には推測される。
方針転換とか,脱宗教と言えば聞こえはよいが,現在は外部への動きなどを鑑みるに,これらの究極的な高い真理を積極的に広めようとしているようにはほとんど感じることができない。どうしてかわからないが、新ミレニアム直前の真理の動き,トピックとしては,偉大な山を築き上げた。という気はしている。かつての霊言後の攻撃的唯一崇拝的教えの生んだ累々たる屍の上に。きれいな本書の薄紫色でできた水晶のような鋭い山を建てたという記録がアカシックに刻まれているように感じた。

天川貴之は当時の仏陀と言えたのだろう。
天之御中主之神は当時の天使長としての使命を果たしたのだろう。
聖エオリアスという宇宙連合の代表が,地球世界への宇宙に至る夢の革命として,普遍的宇宙の叡智を説き来ったのであろう。
しかし、そのような3次元時系列的ブランド・スターエゴに捕われていると,彼らの説いた「本質」は、全く見えなくなるという危惧を強く感じている。
私にとって,この書から得ることのできる魂の栄養と価値は,そんなブランド的な9次元がどうした、仏陀がどうした,天界の動きがどうしたなどという,きわめて低次元なブランドスター追っかけに好まれる権威やヒエラルキーや組織や権力変動などのパワーバランスの肉体的物質的エゴ的な重い衣装や煌めきではなく,この書の端々に説かれている,愛や信仰の新時代に向かうこれまで気付きにくかった視点からの心と意識のあり方の革命的・サプライズ的教えと鼓舞こそが,最も重要で大切で,多くの人に知らせたいことなのである。

愛や夢などは読まなくとも人間誰でも知っている。
こんな奇書よりも,きちんとした聖書や仏典や教祖の方が正しい。
−確かにそのような意見もあるでしょうが,同じ愛,同じ信仰,同じ未来、同じ真理の奥義、同じ宇宙への精神的方向性と道筋を説く,その元の根本立脚点が,これまで言い古されてきたものとはダンチ(段違い)なのです。
世間一般の宗教や新聞やアカデミズムや科学や何学の世界で言われているテーマと全然異なって、意識の世界より全く違った切り口より,視野より,視点より説かれる真理が,斬新な特色なのです。
それは、第1章聖エオリアスの話から始まり,イエス,天之御中主之神,仏陀 と個性も内容も全然異なれども,方向性と目指す世界の高さは共通で,かつてこれほどの高い視野で真理が鮮やかに展望され平易な言葉で語られた宇宙的真理の書はあまり類例を見つけられない。
いくらでも難しい言葉や言い回しで、宇宙の真理や秘密を説明した本は,昨今の精神世界に溢れており,そこには精神世界にしか知れ渡っていないカタカナ用語や特別なニューエイジ用語が乱舞している。はたまた2500年前の仏教を,性懲りもなく持ち出し,それを仏教学の専門用語で堅苦しく言い回した教えも,それらの得意な一部の人には救いの手となるかもしれないが,それが新世紀以降世界に広まるスタンダードとは思えず,大々的なルートマッブ・計画としては,天上界ではもう予定はされていないようだ。
それは2500年前から,20世紀にかけて数十世紀をかけてすでに行われてきたことであり,形骸化・化石化した内容は,高橋信次によってブラッシュアップされた。
今どき教典に載っている難解な宗教用語を使うのは,どう考えても,より多くの人の救済には繋がらない。
やはり、単純で簡単な用語により,また哲学的なシンプルな概念により,新たな宇宙の真理が語られ,これまでの世界宗教は単純で簡単な用語や,哲学的なシンプルで純粋かんたんな概念によって、新しき酒として新しき革袋(容れ物=個人やグループ)により広まるべきものだろう。
旧来の巨大組織の有無を言わさぬ強圧なピラミッド序列ではなく,関心を持った人が,関心を持った時に,自由に知り,自由に得、自由に検討することができる解放された社会的環境によって知られ受け入れられ,自由に広まるべきだろう。

確かに小さな組織はあっても,私のように会員でも信者でもない者が,自由に解釈し自由に感想を書き自由に賛美できる気軽さに、透明な風を感じ創っていくべき新しい時代に入っていっているのではないだろうか。

議論とか論争とかいう、20世紀組織の組織と自己のプライド保存の重い鎧に被された抑圧された世界で行うのではなく,なんの立場も名誉も地位も離れた自由でノンブランドな立場により,最も公正で中立的な自由な意見や確信は生まれ,育まれてゆくのではないだろうか。
物質と人と社会の精神と組織の重さから、人の存在も精神も解放されなければなりません。
この書を読んだからと言って,3次元的に信者になるとか,帰依するとかいうのは,昔の世界の人を縛るあり方で、ナンセンスです。
もっともそれをしたい人は自由にやられればよろしいでしょうが、私は真の宇宙のあり方を感じて知っているが故に,決してお勧めはできませんが・・・(^^;; …そういうものに依存し頼るものではないのです。また組織で仲間作りも矛盾したベクトルです。

個人として解釈し,個人としてあなたの生き方に有用な珠玉の教えと言葉を生かせばよいだけのことです。それが新しい宇宙のあり方なのです。
そんなこと、この本にはそのようにはどこにも書いてないかもしれませんが,それを読んで感銘し,新しい宇宙の息吹の風を感じ取った一読者としての意見に過ぎません(^^)

でも、この宇宙の高みより吹き来るさわやかな風のような純な透明感と実在感は,ほんとにすばらしいですよ☆

−すべての人にお勧めします。
・・・あまり重く汚い人間間の澱んだ空気を引っ張って、頭に汚い出来事やエゴを纏って読まないように・・・というのが、おすすめです。





        







| 10:52 | 理想の宗教や政治への道 | comments(0) | trackbacks(0) |




豊田有恒  1992/4 初版第一刷
副題:「なぜ、天皇になれなかったのか?」

 
表扉の紹介文の吉村作治氏によると、
「天才の悲劇」を解明した1冊」とのことだ。
「聖徳太子の悲劇−なぜ、天皇になれなかったのか?」
とのことだが、果たしてそれは悲劇なのだろうか?
 
また、聖徳太子は、最後に「世間虚仮。唯仏是真。」と
語った。
これは私も非常に共感できる言葉である。
しかし、

著者の主張「聖徳太子の一生に、虚無主義の影を読み取ることができる」というのは、どうだろうか?
「世間虚仮。唯仏是真。」からすれば、先の「世間虚仮」を強調して読み取り理解し、「唯仏是真」という宗教的・宇宙的実相と真理をあまり理解しなければ、その方向に行ってしまう。そのように錯覚しやすい聖人の生涯であったのかもしれない。
あえて、悲劇という一面に焦点を当て本の題名にするくらいだから、そのような方面から捉えてしまっているのだろうが、実際は虚無主義とは異なった意識・思想によって、日本のためにそのユニークな人生を歩まれたと私は認識している。

本稿ではこれらの事々を、目次を紹介しつつ著者の主張を追い、それを自分なりに理解し感想し、聖徳太子の真実に近づいてゆきたい。

この書の特徴として、全体を見ると、彼の偉大さは認めつつも、独自の心理学的アプローチをし、極めて現代的に彼という人間を“分析”している。
著者はSFと歴史作家で、歯に衣をきせぬ露骨な言い方が特徴で、なおかつ群馬の人間だ。そのため宗教的・学問的に信仰や研究している(私も含めて)人間には、多少読み辛い、頂けない面もあるが、著者は宗教的・歴史学術的に彼の姿と人間を探求してはいないのだから、仕方ないとも言える。
しかし著者が最も主張したかったことは、聖徳太子は神秘と謎の向こうにある存在ではなく、(弱さも強さもある)私たちと同じ人間だった、ということのようだ。
高橋信次の代表作で、これもストレートな表現で、しかも見えるままに書いたという『人間・釈迦』があるが、この本の場合は、著者の現代的な好み・得意とする視線から探求した『人間・聖徳太子』のような感じだ。

SF作家だけあって、前述したような理知的な書き方が特徴だ。
以下目次を細かく引用紹介しつつ、気にかかったことをコメントしてゆく。
 

第一章 聖徳太子。知られざる「もう一つの顔」とは
―「文人」イメージだけでは語れぬ偉業の数々

(1) 太子の青春期は動乱の連続だった
―あくなき半島への「野望」
“武人”としての聖徳太子
タブーに触れ、即位できなかった皇子
大和と百済の密接な関係
穴穂部の皇子が起こした「不祥事」とは
豪族連合政権だった大和王朝
蘇我氏は、なぜ武力を持っていなかったのか?
起死回生の奇襲作戦
推古女帝、即位す
太子は、なに後で仏教を学んだのか
半島奪回への執念

(2) 偉大なる「弘法者」の誕生
―なぜ、太子の外交センスは時代を超えていたのか
なぜ、太子は軍事介入に執着したのか
遣隋使派遣に秘められた「ある意図」とは
聖徳太子は天皇だった!?
国粋主義が国難を招く日本の体質
大成功を収めた遣隋使派遣
平和主義への転換
「太子抹殺説」が出た背景とは

第二章 「裏切者」か「超人」か?
―時代が変わると180度変わる歴史の評価
嫉妬心とイデオロギーが太子を矮小化した
「厩戸が天皇を殺した!」
共通点が多いから、嫌われる
民衆の「メシア」
太子は仏教に絶望を感じていた?
なぜ、太子の人生観は大きく変貌したか
自分の死期を予知
「空海は太子の生まれ変わり」
予言書『未来記』の秘密
病跡学の導入が、なぜ必要か
 

ここまでで最も興味深いオリジナルな著者の説は、
仏教への帰依を、少年期の百済仏教は熱心に求めず、青年期の高僧恵慈からもたらされた高句麗仏教から熱心になったという独自の説だ。
これは理的に探求する著者ならではの見解であり、興味深い。
「太子の仏教説話風エピソードは多いが、後世に書かれた太子伝に載っているものがほとんど。少なくとも『日本書紀』では、太子の前半生では、物部守屋討伐の際に四天王に祈願したエピソードと父用命天皇の病気平癒のため祈願した記録のみ、意外に少なくこの二つしかない」(P91要約引用)とのことだ。
そして「太子が仏教と関連づけて語られるようになるのは、後半生―推古天皇の十年以降である。」(P92引用)
そこで著者は、前半生では馬子に仏教キャンペーンのため利用されたのであり、ほとんど仏教とは関わりなく過ごしたという大胆な仮説を披露している。
そしてさらに、「ふみこめば、父の命を救えなかった仏教に、太子が絶望していた可能性もある」と想像を飛躍させている。
―そんな現世利益のみで仏教を見る凡億の庶民のような意識ではなかったと私は思え、これは群馬県人の短絡的・短気的な発想でしかないとしか思えないのだが、そこから
「太子が十代で知った仏教は、蘇我氏主導による百済仏教であり、救いを得られなかったので、その後太子が帰依したのは師事した高僧:高句麗の恵慈法師による高句麗仏教ではなかったか」との説を展開している。

確かに帰依した仏教の種類に関しては、事実からそうなるのかもしれないが、最初は熱心でなく、一度仏教に絶望したりし、再度高僧の師事により熱心になったという仮説は、
仏教・宗教信仰的側面から彼を見ている学者から一般まで多くの人は、そんな庶民と同等の感覚の説は異端であり、受け入れられないと思われる。
そのような視点が別の観点から興味深く、私も賛同するわけではないが、著者のような非宗教的学問的見地からの理知や心理学に主眼を置いた分析者の方法論に、本質的に欠けている総合的な認識に気付くきっかけを与えているような感じがする。
私はもちろんそのような説は否である、確かに周囲の事情によって、仏教信仰と興隆に深く関った時期・関わっていない時期があったことは、人間の一生であるから当然あったにせよだ。

そして著者による、太子の関わった仏教は変わったとの仮説は進められる。
それらの仮説から、「十代の太子は武人であり、一度信仰に断絶があって後半生で文人として仏教に深く帰依した」と結論づけている。
そこに、太子の人生観の大きな転換・変化があったと見ている、著者の主張の確信に繋がるのだ。


そして著者は太子の神秘と謎に包まれてしまっている(P95)、作り上げられたイメージや伝説ではなく、聖徳太子の真相を追求したいということだ。(P107)
そのためなにを思ったのか著者は、なんと“病跡学(パトグラフィー)”の手法で太子の分析を始めてゆくのだ。(P108)
しかし著者にとって病跡学は、それほど俗学的なものでもないようだ。
パトグラフとは、もともとギリシャ語源のパトスとグラフから作られた語で、「病気」「感情」そして「記憶」のような意味が合わさり、上質な表現では「魂の軌跡」という意味になるらしい。
そして著者は、太子の家庭環境に関して現代風に論評する。酷い欠損家庭だと。ここでは母親の不品行を取り上げている。
 
 
第三章 「謎」に満ちた太子の実像
―通説を超え、今、その真実に挑む
 なぜ、歴史家の評価が分裂するのか
 太子は馬子の業績を横取りした?
 聖徳太子「怨霊説」の弱点
 聖徳太子は外国人!?
 「人間・太子」の実像を探る
 
第四章 なぜ、聖徳太子は天皇になれなかったのか
―伊予「空白の四年間」が明かした衝撃の事実

(1) 崇峻天皇暗殺……その真犯人とは?
―1400年の時を超え、いま、その謎を解く
 ダイイング・メッセージ「猪の首」
 「大化の改新」との奇妙な符号
 崇峻はなぜ、任那奪回にこだわったか?
 父祖代々の悲願実現に努力した太子の業績
 なぜ、馬子は中立を保ったか?
 「河上の娘」の正体
 刀自子の妃の暴走
 崇峻暗殺・黒幕の正体は
 キング・メーカー推古天皇
 太子に衝撃を与えた実母の「醜聞」
 飛鳥からの追放
 トラブル・メーカー山背の大兄の王
 
(2) 「美貌の女帝」の恐るべき才知
―推古天皇の即位は太子の人生をどう変えたか
 実力派天皇を望まぬ馬子の深謀
 女帝=大臣「密通説」の根拠とは
 キング・メーカーの即位
 推古天皇「唯一の誤算」
 「濡れ衣」を着せられた聖徳太子
 暗殺犯は太子の家庭教師だった!?
 

そして、
第四章 なぜ、聖徳太子は天皇になれなかったのか 
(2) 「美貌の女帝」の恐るべき才知
―推古天皇の即位は太子の人生をどう変えたか
・・・
「濡れ衣」を着せられた聖徳太子

ではさらに著者は、
聖徳太子の青春は苦悩に満ちたものだと語っている。
劣悪な家庭環境で、18歳の時点で人生の岐路となる数多くの事件が起こったそうだ。
崇峻天皇暗殺の条(くだり)にとってつけたようにある刀自子の妃の、犯人との不倫の件。
そして暗殺の黒幕は炊屋姫であり、暗殺の疑いを太子に転嫁し、息子の竹田の皇子
擁立の時を稼ごうとした
とのこと。
後の推古女帝が仕掛けたトリックに引っかかっていると言っている。
こうしたことをいつ太子が気付いたかの資料は現存しないが、
崇峻暗殺と前後した時期
とみている。

そして
(3) 飛鳥からの「脱出」
―南国の「桃源郷」で彼が得たものとは
 
にても、
精神的ショックの連続
とつけて、繰り返し書いている。
この段階で、ゲシュタルト崩壊に陥っていたと。
ノイローゼ状態に近いものと。
しかしどんな時代の人であろうと、これほどの心理的重圧に耐えられる
人間はそういない
とも。
また起こったこととして、
母の間人の大妃と異母兄の多米の皇子との結婚と、佐保の女王の誕生。
そして太子の元には母を失った山代の大兄の王が残された。
 
飛鳥を去った聖徳太子
 
そして太子はもはや天皇になれるような心理状態にはなく、
師の恵慈法師と葛城の烏那羅と共に伊予の道後に向かい飛鳥を去った。
滞在は長期4年に渡った。

「空白の四年間」
 
著者は推古女帝の即位とともに太子が摂政になったのではなく、
その時点では道後温泉にいた可能性が高く、全快して碑文を建立して
飛鳥へ戻った
と捉えている。
「神井に沐して、疹をいやす」

伊予と法隆寺の密接な関係
 
法隆寺は関西から四国にかけて、合計46カ所庄、床倉を所有。
伊予には14カ所で、8カ所が道後平野に集中。
これまでは法隆寺勢力の浸透を根拠に、聖徳太子が伊予に来たという伝説が生まれたと解釈。
しかしこれは不自然で、原因と結果が逆になっているのでは。
伊予が太子の療養滞在した特別な場所だったために、のちに法隆寺勢力が移植された。

政界への復帰
 
風土記が太子の表現を来た当時と風土記制作時に使い分けている所も証拠になる。
最初は「聖徳皇子」あとで「法王大王」と。
幕末の太子攻撃は濡れ衣のようなものだったが、明治になってその反動から
太子の聖人化はさらに進行した。
偉大な太子は摂政であるからして、伊予などの田舎にいたはずがない。
そのため兄の太子と弟の久米皇子を間違えたという珍説が学界の定説になってしまう。
また偉大な聖徳太子が道後温泉で病気を治療したなどということがあってはならないという
予断、偏見、思い込みのため、『伊豫風土記』を黙殺。

聖徳太子の「病名」は何だったか
 
十代の家庭環境の肉親の騒乱による精神的ショックのノイローゼ(神経症)説
確たる証拠はないも

太子を救った恵慈法師の教え
 
著者は松山へは4,5回行ったことがある。
好きな都市のベスト5に入れたい。
愛媛県のシンポジウムに招かれた際、道後訪問説を披露した。

著者のような凡人の乏しい経験から、聖徳太子のような偉人の心理を忖度するのは不敬なことかもしれないが、聖徳太子の偉大さは歴史の教科書などに列挙されている点だけにあるのではない。
聖徳太子は、巨大な精神的な重圧の元で追いつめられ、最後の手段として仏教にすがった。

あとがき
には、
これまでになかった聖徳太子像 と、これまた書かれている。

目次から内容を辿るのは以上ここまでです。
 
 
あらためて読後感を述べるに、SF歴史作家の書いた「人間・聖徳太子」の第一部といったところか。
第一部で完となり、第二部は難しいと思われ、また著者も摂政になって以後は文中からもあまり関心があるようには感じられなかった。

まあ彼なりに、このような迫真のある現実的人間ドラマとしての聖徳太子を描きたかったのだろう。
太子を貶めるつもりも、宗教的に崇めるつもりも共になく、独自の知的・好奇心的探求によって、これまでの形式的な歴史や文献学者の研究に異を唱え、太子のこれまでなかった実像を独自に追求したというユニークな色彩が最も濃い。
私は否定はしないが、やはり敬意と尊崇の気持ちは欠けている面もあると思うが、冷静に探求すると筆者のような結論を導き出すことも、極端な異論や異説ではないと考えている。
 
筆者の言うように彼は現代風に言えば、青春期にはノイローゼ的症状に陥ったことがあるのかもしれない。
しかし、それが彼の業績や評価になんの影響も与えないのは自明の理であり、ノイローゼを患っていようがいまいが、彼の業績のより深い探求にはあまり意味はないのである。
ただしもしノイローゼ的症状に陥ったことによって、人間の弱さや弱い人間の精神を彼は他によってではなく、自分自身として体験し知ることができたとしたら、そしてそこから立ち直って青年壮年と大きな業績を残したのなら、それはノイローゼを患っていない人間としてより、より大きく飛翔できたということにもなり、それはそれで素晴らしいことだと思われる。

また最後になったが、副題の「なぜ、天皇になれなかったのか?」に関して。
これまでの大方の研究者の見方・説としては、著者もそうだが当時の太子を取り巻く複雑な人間の利害関係を様々に挙げつらい、太子は当時の王家の権力闘争の犠牲者的位置にみているものが多い。
確かに当時の大和朝廷はそのようなものだったのだろう。

しかしここで一つ視点を変えて、太子の側から見てみると、
私は太子が、天皇を目指していたわけではないと考える。
太子の行いたかったことは、当時の大和を大陸の大国と対等に渡り合える高く進んだ精神と理念を持った国に導き誘うことだったと考える。
その過程で、朝廷の血筋に生まれたわけだが、天皇になるならないは、あくまでも太子の生まれた目的達成のための手段であり、目的ではない。
天皇になれるのであればなっていただろう。しかしなれない状況であれば、その状況で目的を果たしただろう。
果たして結果は、天皇ではなく、天皇の摂政という形で、実質的に政治を執り行ったわけなので、降誕した使命は、ほぼきちんと果たせたということになると思われる。もちろん完全にではないにしても。
彼自身にとって天皇になるならないは、本人にとっては、結果的な二次的な選択肢にしか過ぎなかった。

さて私にとって聖徳太子は、盲的な信仰までいかずとも、尊崇の対象であり、日本に仏教とグローバルな精神を導入し根付かせた祖として、また日本仏教の中心に輝く教主として、偉大な哲人政治家として認識している。
ここらへんは、通常の太子を尊崇し慕う宗教家や、学問的研究する学者と同じだが、ただそれだけではなく、他の歴史上の聖人や偉人・賢人・哲人と同等以上に、神秘的な大きな光の存在であると信じている。
それを現在までに残る文献や伝承から辿ることは、すでに日本で昔から種々多くの専門家により行われて来ているが、
単なるこれまでの既成の学問や宗教ではなく、スピリチュアルな、また先進宗教的な、さらに宇宙的な見地からも、太子の神秘的なヴェールの先を求めたいというのが、私の本願である。
もし19世紀のルドルフ・シュタイナーが太子の業績を知っていたら、彼の宇宙と地球の精神進化史において、重要な位置を占めるであろうことが推測され、どのように示されるか想像すると興味が起こる。
また、スピリチュアルな先進宗教の一つである幸福の科学においても、聖徳太子は、これまでの宗教的・学問的定説・位置付けと大同小異だが、天上界の世界と日本の地上ユートピアの経綸・計画において重要な位置を占め、日本の歴史に不可欠の光を放っている。

次回また心の琴線に触れた太子研究書を取り上げ、太子の実像を自分なりに求めてゆきたいと考えている。

 
 
| 10:46 | 理想の宗教や政治への道 | comments(0) | trackbacks(0) |
評価:
エリエット アベカシス
角川書店
---
(1997-09)


…以前から気になっていたキリスト教の成り立ちに関わる秘密に関連している、死海の辺りで見つかった謎の巻物…所謂「死海文書」の一部を扱ったサスペンスミステリー「クムラン」をようやく読破した。
ついては所感を書きたい。
近年このような所感と謎を受けた書物はなかった。
あえて類似点があると言えば、同じキリスト教の謎をテーマにしたダン・ブラウンの「ダ・ヴィンチ・コード」と「天使と悪魔」だが、それとの比較と絡めて記してゆきたい。
それらとは物語世界の深さと真面目さが圧倒的に異なるのだ。
極めて真面目で、深く、ハードで重く、それらはクムランの背景世界の持つ
その置かれた時代的、年代的、世界的深刻さから来ていると思われる。

またそれをここまでピュアに一つの完結した物語として記すことができたのは、ひとえに著者エリエット・アベカシスの精神と才能によるものだと思われる。
ユダヤ教とキリスト教の源流を探求する宗教的、学問的信念がピュアすぎる精神として、物語の中よりひしひしと伝わってきた。
それを備えているエリエットは、元々その精神性の高さを持ち合わせた魂なのだろう。
死海文書をモチーフに、これだけの物語を紡ぎ出したエリエットは、まさにキリスト教的神学界もしくは宗教界に、新しい息吹をもたらしたニューエイジ、ニューウェイブではないだろうか。
しかしその息吹、波は、嵐であり、大波のようなものである。

物語世界の確とした緻密さとプロットは、まさにユダヤ教神殿の、土台か礎石のような重圧を有しており、生半可なミステリーやエンターテインメントの域を遥かに越えている。

現在あのキリストの秘密に迫るミステリー大ベストセラー「ダ・ヴィンチ・コード」の次回作映画、やはりキリスト教カトリックの大本山を舞台にした「天使と悪魔」が公開されており、文庫3冊も少し前に読破したが、
同じくキリストの秘密を扱っていても、やはりダ・ヴィンチのキリストの暗号よりも、ローマ・カトリックの歴史的問題よりも、エリエットの著したクムランの方が、何倍も深刻に感じられた。
それは、物語の書き方や、著者の物語への込めた意味や重さなどにももちろん依るだろうが、その宗教・神秘・神学・信仰世界に、どれだけ物語が介入しているかで計れるものだと思う。
ダン・ブラウンの2作のベストセラーは、神父等の教会関係者、研究家が複数出てくるが、あくまで主人公は宗教等の紋章の形象学(象徴学)の学者であり、大学教授だ。研究対象の形象を通して、キリスト教や古今東西の宗教的神秘的秘密的セクトや、意味を通して教えにも通じているが、やはりそこには宗教や信仰そのものとはかなりの距離がある。
だから、主人公の視点は、一般人に近い視点だ。

しかし「クムラン」の主人公は生まれながらの敬虔なユダヤ教徒でタルムードの学徒写字生ハシードであり、父は古文書研究家だが、バックボーンはラングドン教授とは全く異なり、ユダヤ教の隠された世界から出ている。
よってエリエットの「クムラン」は、視点がユダヤ教キリスト教の宗教そのものの視点を持った主人公と共にあり、読者は主人公の宗教的感覚を予感や想像や幻視という、宗教的神学的な霊的感覚として、主人公の遍歴体験と共に味わうこととなる。
その意味で、ダン・ブラウンのキリスト教的ミステリー2作よりも、読者は遥かにユダヤ教キリスト教の啓示と契約の恐るべき世界そのものを、旅行者・傍観者・研究者としてではなく、事件に巻き込まれる当事者そのものとして味わうこととなるのだ。
ラングドン教授と魅力的で素敵な二人のヒロインも、一つの事件をきっかけに、一生に一度あるかないかというたいへんな驚天動地の出来事に次々と遭遇し、身の危険に何度も遭遇するが、それはあくまでも、一般の研究者や関係者として宗教的猟奇的事件に巻き込まれているので、どちらがキリスト教の隠された恐ろしい秘密を味わう感覚が直接的かと言うと、言わずもがなだろう。

私は別に、どちらが優れているとか、どちらが本格的だとかのつもりで言っている訳ではない。 「クムラン」は、それ程の物語を提供しているので、読者は生半可な宗教ミステリーを旅行者ルポライター的感覚で読んだりしても、本質は理解できないということが言いたい訳だ。
何千年と隠されてきた、キリスト教の初期の教典の語っていることを、教義(神学)と信仰(信者)の視点から投げかけているのだ。
そんなものはない、著者や研究者の妄想であり、空論であり、絵空事だと一蹴することは非常に簡単だ。
そんなものは認めない、カトリックもユダヤ教も現在の神学も認めていないからと否定するのは非常に簡単だ。

しかし、現実に1947年死海のほとりのクムランの洞窟でそれは見つかった。そして、その後何十年もかけて、米欧の研究家が解読を試みている事実は、やはりそれが本物のキリスト教の歴史の一端を伝えている真実のものである可能性が十分にあるからではないだろうか。
そこからエリエットは大胆な推理と想像で、極めてユニークでまた恐るべき物語世界を構築した。
それは、現代の世界で、大いなる宗教的脅威と言える。

一つの20世紀最大の宗教的発見から、自由な物語世界を想像し創造した。
それは、ユダヤ教やキリスト教の信仰者にとって、キリスト教の初期の真実(教義や出来事・信仰)に関心を寄せる者にとって、大きな刺激を与えることだろう。
この物語が作者の創作で現実や事実や史実でないとしても、その巻物の真実を、作者なりの強い信念で捉え、それを物語の中心に据えているからだと思われる。
よって、この物語の本当の主人公は巻物であり、発見された巻物がそれに関わる人たちを動かしているかのようである。

次回更にあらすじストーリーをかんたんに追いつつ、クムランの謎に満ちた世界と物語を探求してゆきたい。

| 14:18 | 理想の宗教や政治への道 | comments(0) | trackbacks(0) |