★天使回廊からの夢☆

 
「ただの人間には興味ありません。宇宙人,未来人,異世界人、超能力者がいたら、私のところに来なさい!以上。」
−この21世紀初頭の涼宮ハルヒのメッセージは,地球の意識を先鋭化した形で代弁しており,
形のない光のネットワーク形成を呼びかけていると感じます。
地球はアセンションして新宇宙の無限水平ステージに軌道変容しようとしている。
ハート地球の胎動が聞こえて来,ワクワクドキドキとしませんか☆ 

『緑川玲◇Twitter☆』は、右サイドフリースペース RECOMMEND のすぐ下にあります★

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 週刊現代7月19日号に、久しぶりに神意に沿った一部素晴らしい敬宮内親王を扱った記事が表れていたので、印象紹介しつつ、独自の感想を認(したた)めます♪
これによって、現代日本の歪んだ浅い偽の皇室観が少しでも改善されることを願いつつ・・・

  

○愛子さまと呼ばないで―彼女が天皇になる日◎巨大マスコミの良識はまだ死んでいなかった!


「クラスメイトは、何だかよそよそしい。大人はみんな、いとこばかりチヤホヤするくせに、私を自由にしてはくれない。いったいどうしろっていうの? ―彼女は、日本人のエゴの犠牲者ではないか。」

「愛子さまには、『世間は私や両親のことを悪く思っている』という思いがあるのではないでしょうか。今は皇太子一家をあげつらう報道も多い。思春期にさしかかった今も、・・・とてもお気の毒だと思います」

「ここ最近は、『無愛想』『人見知りなんじゃない?』といった評判をよく聞きます。」

―『無愛想』は、軽く安く甘くない。
人見知りは、魂の繊細さの表れた性質。
 無愛想や人見知りという、ピュアな魂にありがちな属性を悪とし、反対の安っぽいアイドル性をよしとする三流意識の国家のマスコミと愚民たちは、度し難いだろう。

「学校が始まって見れば、クラスメイト達に遠巻きにされるばかりか、外に出るたびマスコミに一挙手一投足を追われ、あれこれ言い立てられる毎日。12歳の女の子には酷過ぎるというものである。冷静になって愛子さまの心中を考えると、誰しもいたたまれなくなるだろう。」

「そんな中、作家の赤坂真理氏が著書『愛と暴力の戦後とその後』の中で愛子さまの境遇に思いをはせた個所が、6月26日付けの朝日新聞朝刊で引用されて話題となった。」

―現代日本の抱える不条理の問題を喝破されており、見事な内容で、この不条理をこの日本というシステムの中に生きる一人一人は知り考えるべきだと思わされた。

「自らの置かれた立場を自覚されている愛子さまにとって、こうした移り気な世論は、あまりにも無責任で無神経なものと映っているはずだ。」

―一斉に喜び、自分たちの思うとおりになる行動をしないとバッシングする。
 日本の愚かなマスコミに操られた愚民達は、どこまで人としての闇に汚染され、軽々しく年端も行かぬ女子の人格を否定する悪魔の所業に熱心なのだろう。
 現代日本の闇と、それに支配洗脳された魔民の意識は、地獄のレベルにあることが判る。


男女平等じゃないの?

愛子さまの本音はおそらく…

「「世継ぎになれるのは、男系の男子のみ」という掟に縛られた皇室で暮らす愛子さまは、事ある毎に、影で、「男だったらよかったのに」と言われて、傷付けられ続ける。これ程男女平等が言われるようになったご時世に、理不尽過ぎる境遇だ」


―子供は元々天真爛漫で、それを暗くするのは周囲の環境という社会の歪んだ意識群である。人間は、隠れて物を言ったり思いを顔に出さない訓練を受けたプロばかりではないのだから、敏感な子供は、大人の何気ない態度や言葉遣いから、いろいろな社会の実情を察知する能力に長けている。また愛子さまは新しい時代のチルドレンなので、気や意識を掴む感覚は、乳幼児期よりとても優れていたと感じられる。
 愛子さまがどれ程周囲の大人を通じて、社会のネガティブな東宮や自分自身に対する攻撃的想いを受けてこられたかは、一般人の想像できるレベルよりはるかに強く高いと言わざるを得ないだろう。
 そのようなネガティブな念を幼少期から受け続け、まともにマスコミと愚民の好む立ち振る舞いをせよという方が、おかしい理屈で、彼らは内親王を、自分たち愚かな国民のアイドルかペット程度にしか思っていないレベルに過ぎないということが判る。
 本来のペットではなく、意識レベルの低い愚なる国民レベルのペットである。それを否定するバッシング者は、自分で自らの曇りの心が見えない精神の未発達性を証明している。

「現行の皇室典範では女性皇族に皇位継承権はないにも拘らず、「やっぱりゆくゆくは直系の愛子さまが後を継ぐのが自然ではないか」と素朴に考えている国民も多く、またそうした選択肢を皇族方や宮内庁はあえて残そうとしているようにも見える。現在の愛子さまは、まさに宙ぶらりんなのである。」

―そう、やはりこういう自然でまともな感覚を持った人々も存在する。
 女性はダメという道理は、男尊女卑の国体独特の感覚であり、本来の理想的な国家や世界には、そのような性差差別は存在しないことを知っているからだ。
 元よりこの豊葦原の瑞穂の幸はう国は、天照大神の神勅によって始まった。決して神武から始まったわけではないのだ。
 だがこのような本来の道理を知らずに、理解できるまともな感覚を持った人々は、残念ながら多くの愚民の魂の出所:幽界に洗脳された人々よりは、まだずっと少ない。
 人間としての人格や悟りの高さに比例しているので、そこは宇宙の真理同様、根気強く人々に訴えて、自らの隠された清浄なる心域に気付いていってもらうしかない。
 今の皇室典範を盲信し、東宮バッシングを罪深く続ける連中は、この間違った国体に支配された闇化した日本社会の構成員であって、決して魂の闇のベクトルから日本の崇高な真理と神意に気付かないままでは抜けることはできないのだ。


「皇位継承権を持つ方はどんどん減っていて、今では1位から順にたった5人です。しかもそのうち常陸宮さまは79歳、三笠宮さまは99歳になられます。天皇は男子に限る、などと言っている余裕は、現実的に考えてもありません」

―このような現実の先にある未来を考えられず、想像する能力の欠けた人々が、近世の明治より始まった男尊女卑の性差別典範を頑なに絶対の真理のように思い込み、皇室の将来を心配し懸念する洞察力や想像力に欠けているのだ。
 よって今女性宮家を興し、皇室典範を男尊女卑から男女平等へと変えて行かないと、皇室も天皇もこの世紀で滅んでしまう可能性が高くなってきている。それは非常に簡単で明快な理屈だ。
 側室などという古い戦乱の時代にあった制度を廃止した昭和天皇は、将来来る男女平等の世界を知らずに予測していたと私は感じている
 間違った古いままの歪んだ時代感覚に支配された政府やマスコミや愚民達が、昭和天皇の勇気ある決断、先見の明を、明治からの男尊女卑の歪んだ意識のままで、潰そう、時代を閉ざそうとしているのだ。
 皇室典範は、男尊女卑の間違った時代のままのものであるから、それを早急に変えることこそ、新しい男女平等の大きく開けた時代に繋がることを、多くの愚民は気付くことができない。魂の病という闇に陥ったままである。

「眞子さま、佳子さま、愛子さまの女性宮家を設けなければ、このままだと皇族が悠仁さまだけになってしまう。皇室にとって最も重要な役割は、外国訪問や式典出席などではなく、宮中祭祀なのです。祭祀には非公開のものも多く、全てを悠仁さま一人で担われるなど、とても無理。こうした理由からも、複数の宮家を維持するほかないでしょう」

―家族問題コンサルタントの方が全然よくわかっている。
 いまのままで皇室典範に従うだけという頑なな態度と姿勢は、皇族の減少による皇室の危機と全く判っておらず、何百年も前の民間に降下した家を新たに迎えよとか、血についても赤の他人を家族にするというような愚論を展開しているようだが、直に皇太子ご夫妻の内親王がお生まれになったのに、天皇家としてのその血の繋がりは、比べることができないということが、最初からわかっていない。
 そして女性を、忌むべきものと決め付けている。
 いわんや、月の日は祭祀ができないとか、どこの遅れた地方の古臭い男尊女卑の伝統を持ち出しているのかと首をかしげるが、男性であっても身体の調子の悪い日はあると同様、女性で殊更独自の理由を強調する意味は、今はほとんどなくなっているという事実を知らないのだろうか。
 血の繋がりより家系的に強いものはなく、男女の違いというものは、血の繋がり以上の意味を決して持たないものなのである。

 皇族が悠仁さま一人で、他の同等かそれ以上の血統のある女性たちが皇族ではなくなってゆく・・・このおかしさに気付くことができなければ、気付けない人たちは悪しき日本の外国由来の思想に毒されたままの魂的に危険な状態であるということを、知る必要がある。


「今上天皇の後を、現在の皇太子さまが継がれるのは間違いない。皇室典範の改正が行われない限り、・・・次の次を担う新世代の男子は悠仁さまただ一人ということになる。この事実は、成長された悠仁さま、そして悠仁さまの妻となる女性に、想像を絶するプレッシャーとなってのしかかるだろう。」
「もしも悠仁さまが男子を設けることができなければ、ここで皇室は完全に絶えてしまいます。そんな後がない状況の中、手を挙げる女性が果たしているでしょうか。宮内庁も有識者もこの問題を知っていながら、先送りにしている」」(一部意訳要約転載)
 言うまでもなく、万が一悠仁さまご自身に何か大事が起きてしまえば、そのときは「万事休す」。すでに現時点でも、皇室は存亡の危機なのである。


「ですから、『天皇陛下の一人娘』になることがほぼ確定している愛子さまの存在感が、これから増してゆくことは間違いない。数十年後の未来には、国民の間でも『女性天皇・女系天皇で何の問題もない』という意見が多数派になっているでしょう。皇室典範が改正され、愛子さまが天皇となる日がやって来るかもしれません」
 こうした事情を天皇皇后両陛下はかねてから懸念し、女性宮家の創設をほのめかしてきた。
「将来、宮家が秋篠宮家一つしか残らないという状況だけは避けなければならない。現実的には愛子さま、眞子さま、佳子さまを宮家とすることになるでしょう。」
(渡辺みどり氏)」

「もし愛子さまが天皇となれば、江戸時代の後桜町天皇以来の女性天皇となる。近世の女性天皇は、生涯独身で子も生まないつなぎとされての即位が通例だった。しかし現代の日本で、結婚も出産も認めないのは、人権侵害に他ならない。




―18世紀半ば以降の回帰となる。
 明治などの文明開化した時代に、日本は西洋の男女同権の本来のあり方よりも、科学や文明という自然から遠ざかる利器や兵器の導入に熱心で、その結果今日の日本開闢以来初めての人工的厄災による国土の汚染を齎した。戦争でさえそこまではない、今後何十年も続く毒された国土を自民党政権は初めて日本に開闢以来のかつてない大きな不幸として齎した。そして狂った戦中亡者に完全憑依されたような挑発と強行が持ち味の独裁勘違い首相は、誤った因習・男尊女卑の狂信者である。
 そんな濃い闇の中で、この国が少しでも天の真意に近づくためには、まず国家の元首である天皇制から、元の太古の自然な形に戻しつつ、女性的な悟りや感性を、国の政策や方向に大きく入れてゆくこと以外にないだろう。その大いなる発動の力となるのが、女性天皇である。それが誕生することによって、政治も社会も学術も芸術も、偽ではない、真の女性的叡智が醸し出され活用される大いなる力の影響をフラクタル的・シンクロ的に及ぼすことになるだろう。


「…両陛下は、悠仁さまが成長された暁には、愛子さまに傍で支えてほしいと考えている。宮内庁はもっぱら両陛下のご意向を忖度し、愛子さまに対する干渉を強めているのです」(宮内庁関係者)
―雅子さまは、「将来民間人と結婚させて皇室から出したいと願っている」そうだが、
それは、気持ちとしてはわかるが、根本の所が理解も認識もできていないから、そのような戯言の願いを持つことになるのだろう。

 それは、美智子さまに続いて民間人から皇室に入られ皇太子妃となられた雅子さまのご苦労・・・それは、筆紙に尽くせぬ、多くの日本国民の想像のできない辛さや苦しさが重圧として国の力と共にあっただろう。
実感できずとも、私たちの体験できないレベルの違う重い縛りがあり、今もその中で苦悶されているということは理解できる。
 しかし、人生の途中から東宮にお入りになられた雅子さまと異なり、愛子さまは、そのような事情を全く知らず、最初から東宮の皇太子と皇太子妃の子として、皇室の中に生れられたのだ。
 どこに生れるかは、私たちの計り知れない神の計画があり、人の想像の及ばぬ領域だ。よって、最初から皇室にお生まれになった愛子さまが、皇室を出られるということは、元々の神の計画には最初からなかったことだと、私は感じている。
 私は、零天上界においては、皇室系の神霊と親密な付き合いがあり、自らも過去生においては、公家や皇室に近い所に転生したことも何度かあり、日本の神道の神々の名も実は持っているものである。
日本の神道の神々と言っても、八百万と言われるように、根源から地方の自然の一柱に到るまで、無量に多い。地上では、名を知られていない神々の方が、圧倒的に多いというのが事実である。もちろん、人を喰った名前を名乗りたがる偽神は、神界の日本の神々のデータベースにないので、すぐわかるようになっているし、地上で聞いたことなくも自然な日本の伝統を現した名であるならば、神々の図書館にはきちんと笏か纓(えい)のような立派な分身として柱立されている。

 愛子さまは、天皇になるべくしたお生まれ遊ばしたというのが、21世紀の皇室に関与する神々の計画である。
 両陛下は、それを意識の奥ではご存じである。表面的には、皇室に留まらせたいとお考えになられていることは、皇室に生れた皇太子第一子である内親王にとって、ごく自然な、当たり前で当然すぎる成り行きであり、お気持ちである。

 近年民間へと降下された元紀宮さまは、もともと第三子としてお生まれになった、皇室にたいへん縁の深い御霊である。皇室に生れたのだから当然というのではなく、過去からずっと・・・という意味である。
 彼女は彼女なりに、黒田家に嫁がれても、伊勢の皇女として、彼女なりの、皇室と伊勢と民間を繋ぐ役割を、これからも果たされていく計画のようだ。
 しかし敬宮様は、先の皇太子で現天皇陛下の第三子として生まれられた紀宮さまとは、また全く異なる神々の計画として生まれられたのである。

 元FBIでも活躍した超絶した能力の遠隔透視能力者に透視され、さらに私緑川の女性天皇についての考えをすでに2年半前に記しているので、参考までに神々の天意については、こちらをも参照されたい。

リンク 皇室への神意について一部触れた内容
マクモニーグル「未来 を透視する」4 《日本に女性天皇があらわれる》 (2012/01/01)


「一人の女の子として学校生活を楽しもうとすれば、ご学友たちに敬して遠ざけられる。皇室の内部では、まるで悠仁さまの「補欠」のように扱われる。それなのに、国民からは、「女性天皇」の期待をかけられる―そんな愛子さまの気持ちを、真剣に考えようとする人は、どれだけいるのだろう。

―その著者の不安と危惧は、尤もである。
冒頭に記したような、日本の国民意識の低下による闇化によって、昔のように純真な心を持つ国民は大幅に少なくなっている。このような闇に堕した日本であっても、神々は、皇室からも、国民に、救いの光を差し伸べようと計画されているのだ。
 それに気付けない国民は、気付けないなりのネガティブな役を演じ、その結果、ネガティブな世界へと死後行くことになるだろう。自らの心を覆うどす黒い偽我に気付き浄化できるまで、ネガティブな世界で、真聖善美なるイデアや存在を、汚し続けるだろう。

 ご学友に、遠ざけられようが遠ざけられまいが、女性天皇への道に、なんら大きな影響はない。
 悠仁さまの「補欠」というのは、酷い表現であり、悪なる皇室典範を今もって時代錯誤に則るしかできない人は、自ら日本の新しい夜明けへの希望を、汚い手で引っ張って潰しているということになり、それなりの報いをやはり、汚い心に堕したバッシングする国民と共に死後受けることになるだろう。
「女性天皇」の期待をかける国民こそ、日本の将来を見据えることのできる光ある国民であり、彼ら彼女らの方向性と意識こそ、敬宮様をお守りできる巨大な愛と光の場を作ることのできる、日本の神々に喜ばれ応援される権利を得られる人々である。
「女性天皇」へのご期待こそが、今の闇の日本における、最高の希望の象徴であり、日本が完全に沈んでしまわないための、最後の神代の古代を超えて現代に復活しようとしている希望と慈愛の光である。
「女性天皇」へのご期待を、日本を霊的によくしたい、復活させたいと願う人々は、事ある毎に口にし、文に表し、東宮と皇太子ご一家と共に、守り育てて応援してゆくという、日本の国民として霊的に最も栄誉な道を、歩み進んで頂きたいものである。

 私は、日本の神々や、多くの光ある国民と共に、女性天皇への道を照らすために、その神意の実現を願い確信しつつ、認めさせて頂くものである。

 日本の未来は、女性天皇なくしては開かないのだ。
なぜなら、天皇、そして万世一系は、男女の性差を超えた所から流れ下り、片方のみに捕らわれては歪み、その国の混乱を齎すだけだからである。
 日本は、女性天皇の霊的旗揚げによってのみ、光ある本に帰すことができる。

 女性天皇こそ、日本の未来を開き、万世一系の皇室をこれからも発展させる唯一無二の鍵である。



「皇族として生きることに、それなりの義務や責任が伴うのは確かだ。しかし少なくとも、人生を否定されるほどの理不尽を味わういわれはない。国民はもっと愛子さまの内心を慮り、そのお立場に敬意を払って見守るべきではないだろうか。

 愛子さまの人生は、利害と効率しか考えられなくなった闇化した多くの心ない日本人に、常にバッシングされ続けている。バッシングにも至らない、単なる揶揄や中傷や人格否定を、魂の抜けた世代がわけもわからず日本人の悪い癖、「大勢が一人の反抗する力を示せない弱者への集団いじめ」を冷笑、嘲笑的に、おもしろおかしくネットスラングの魔民に堕して繰り広げている。
 そういう闇の集団が、浮草の如く流され続ける先は、闇の世界しかない。

 愛子さまをまるで目の敵のように否定し人格攻撃する愚民は、日本国民としての光の救いはないだろう。その行為そのものが、すでに光を否定し拒絶しているからである。
 お前達に対して、愛子さまが、何をしたというのだろうか・・・・

 まともな国民は、そのようなバッシングと共にする人を、不快に見られている。
また愛子さまをバッシングしつつ、悠仁さまを持ち上げるというのも、なんら道理になってない愚行だ。

 悠仁さまを賛美するのに、愛子さまを人格否定し、誹謗中傷する必要はないからだ。
よって、悠仁さまを褒め称えつつ、愛子さまを誹謗中傷・人格否定する輩は、全体から見ると、矛盾した行為を行っていることになり、なんら光でもなく、皇室の皇族そのものを敵対視し否定している集団と変わらないということになる。

「皇族として生きることに、それなりの義務や責任が伴うのは確かだ。しかし少なくとも、人生を否定されるほどの理不尽を味わういわれはない。国民はもっと愛子さまの内心を慮り、そのお立場に敬意を払って見守るべきではないだろうか。」

 敬宮愛子さまが、人生を否定されるほどの理不尽を味わういわれは全くなく、その反動はいずれ愛子さまの人生を否定し誹謗中傷した愚民に返ってゆくだろう。
 そして私達すくなくとも日本の神々を信じ尊敬し、愛子さまを肯定的な心で見られるだけの人として当然の正常性を備えた国民は、常々愛子さまの置かれている境地を慮り、愛子さまに晒されている攻撃を否定し、愛子さまの心の痛みを想像し、聖なる自然で純粋な内なるお心を慮り、愛子さまのお立場を、敬意を払いつつ応援し続けて見守るべきであろう。
 東宮家皇太子の第一子として生まれられたお一人子に対しての、国民の当然過ぎるまともな態度と姿勢である。
 それを持ち続けることが、日本のまともな国民として、日本の光と愛ある未来を開いていくことになる。



―とても素晴らしい日本の理想形としての真理を突いた、お勧めできる女性天皇を期待し待望する書籍3点♪
 これらの内容をしっかりと学ぶことにより、単純明快に女性天皇がなぜ大切で、今の日本に必要とされ復活すべきなのかが、魂で理解できるようになる○





| 20:57 | 日本の和の心と技術 | comments(0) | trackbacks(0) |
何年振りかで宮脇書店の総本店へ行った。多分今回が3度目でしかない。
宮脇書店歴は何十年と長いが、こちらに関しては訪問初心者である。
高松市中心部から2kほど離れた朝日新町埋め立て地にある4階建ての巨大なフロアー書店になっている。元々は卸部だったが約20年前一般に開放された。
周辺に住宅はない臨海工業倉庫地帯になっているので、途中では巨大なコンテナ貨物船の修理か製造している光景を見つつ辿ることができる。
よって総本店に来る客は確実に書店目当てになっている。
数年以上前まではうどん屋が2Fに入っていたようだが、今はなくなっている。
わかりづらい所にあったので、テナント料を稼ぎたいつもりだったら、1F入り口横のちょっとした社食のような休憩所を4分の3程度をうどん屋にしたら、近くにコンビニなどないので、2Fにあった時よりは訪問者全てにすぐ目に付き、繁盛したはずだと思った。



現在は、書店内に灯篭、神社、幼児の宅内遊び場、そして屋上には観覧車のある子供の乗り物遊園地が稼働している。
屋上からは三方が展望でき、遠く高松港や女木島(鬼が島)などを望め、気分転換リフレッシュには最適だ。
観覧車の一つ一つに、出版社名が付いているのがまた面白い。

肝心の書店の特徴は、広く、ゆったりとしていて、1Fの一部と2Fのほぼ長方形の売り場の周辺は、数十以上の大手から中堅出版社の区画ブースになっている。
一つ一つが20平米前後ありそうだ。大きなブースはその倍、小さな所でも20平米弱と言ったところだろうか。

なぜか今回、数年以上ぶりにそこを巡りたくなったのだ。
平日午後は、さすがにメイン売れ筋の1Fは数十人の客はいても、2Fは10人いるかどうかだろうか。さすがに土曜は倍以上に増えていたが。
一人じっくりと本の森を散策したい場合は、できるだけ平日に行く方がいい。
また3Fには地方出版社が北海道から沖縄まで各県ごとに100社程陳列展示されている。
 
私は、2Fの専門書でゆったりした数時間を過ごすことができた。
そして、宮脇書店の本に対する愛をここでもあらためて感じた。
ここの時空は、宇宙図書館ではないが、それに近い独立した時間と空間が流れているように感じた。
都会の書店の人がバタバタとせわしく動き回る粗い波動がないため、大勢の本が気持ちよく美術館か博物館の展示物のように、悠久の時を人に手に取られるまで眠っている、まるで本の妖精かメルヘンの園のような独立空間だ。
このような所で瞑想すれば、やすらかなトリップができるのかもしれない。
さすがにそれはできずとも、館内2Fには猫の額ほどの小さなミニチュア神社があるので、その雅な空間を見ているだけでも心が落ち着く。
「朝日天神」と言い大宰府系で、学問の神様の天神を祀っているらしい。
受験生などは、祈ればよいだろう。
社のチャチさや造りは関係ない。要は祈る人間に素直で真剣な心を宣り出すことができるのが、神社の意味なのだ。
それは願い事ではなく、誓いであり宣言でもある。
店内に誰もが来て参れる神社があるということは、たいへん特徴的で進んでいるのではないだろうか。

今回確認しようとした八幡書店はなぜか見つけられなかった。
出版社的には一部の絶版も返品が遅いのか置いている場合があるので、楽しみにしていたのだが…、多分探し方が甘かったのだろう。
新たに知らない精神世界の本を何冊も見つけることができた。
また松本零士の本格的評論「松本零士の宇宙」というのが2003年に出ていたことを初めて知った。
−これを超える本格的な素晴らしい評論は、多分2度と出ることはないだろう。
奇しくもこちらが八幡書店から出ていた。武田崇元が零士ファンなのだろうか?


このような書店はほかに知らない。
約10年前には全国一の売り場面積を誇っていたそうだが、現在でもその静かさは、多分トップだろう。
−広大な土地が安く手に入る地域や、大都市のターミナル駅近くのビルでは、集客が見込め大きな書店は作ろうと思えばできるだろう。
事実北海道などには前者はあり、後者は大都市圏にうじゃうじゃとある。
しかしここまでのギミックと言うかいろいろな特徴のある書店は、多分なかなかないだろう。
書店に食べ物屋が併設は探せばあるはずだ。
では観覧車は? 神社は? 多数の出版社ブースは? 各県ごとの地方出版社棚は? 広い飲み物休憩所は?
それらの全てを兼ね備える大書店は、多分日本中探してもここしかないはずだ。

天下の宮脇だからこそこのようなユニークな試みができたのだ。
そこに大宇宙の惑星系の、地球のオリジナルなユニークさにも通じる妙があると思った。
それらの意味で、総本店は全国大書店の中では言わずもがなで、全宮脇書店の中でも取り立てて貴重な存在であり、ずっと繁栄と発展を続けてほしいと願う。

また宮脇書店ネットワークは、道路をなにかの仇のようにドタドタ整備し、便利なレンタサイクル拠点を市中心部に7カ所も配備する程度の取柄しかない地方中核都市の知的精神を強力に推進している、大いなる装置ということが言えるだろう。
高々人口40万程度の中核都市だ。
しかし四国の玄関口で風光明媚で伝統ある歴史的城下町で港町であることには変わりない。
約6年前にイオンの巨大モールが湾岸部に進出したが、旭屋書店は撤退し、広島の中古兼ねた本屋も撤退し、宮脇が入ったらしい。
しかし紀伊国屋書店は、市中心部でまだ頑張っているらしいが。3Fにあるので知らない一見の客を呼び込むことはできない。
このような中宮脇書店は、大正末生まれの創業者の娘が一徹がむしゃらにやみくもに働き続けたからここまで大きくできたと感心する。
1970年代から元旦も空いていた書店というのは、後々一般化されてきたも、当時はとても珍しいものだった。

宮脇書店テーマパークにおける異時空の森体験は、疲れた心にリラックスとピュアさを取り戻してくれることだろう。
いろいろなあまり見ない本の貴重さと大切さと素晴らしさを思い出す縁:よすがとして、大きく静かな書店の好きな、じっくり時間をかけたい方にはぜひお勧めしたい、幻想的な知的かつ感性的名所だ。

伝説のユニークな総本店は、
レンタサイクルだと高松駅から約20〜30分かな? 漕ぐ速さによる。
車だと10分少々で行けるだろう。


(google Mapより引用)

宮脇書店ホームページ −な、なんとブログに、記事記載したあの神社が!

 
///一転1980年代東京にスリップ///
高輪アンナ会館の実物を私は知らない。
また自由が丘アンナミラーズで楽しいシンクロのお話をしたことも彼は忘れ去っている。(私の当時の悪友グループが入っていたと同時期に彼らは別の仲間たちと入っていた。)
しかし並行時空の鏡像として、それらが私の中で調和して反転できれば、新たな隠されていた3つ目の光が見えてくることだろう。



| 17:59 | 日本の和の心と技術 | comments(0) | trackbacks(0) |
SH世界・・・・・・・・・それは人間が、もっとも自由な良心と真善美愛を思い出し、そのエッセンス・イデアによって想像し創造する、無限に進化を約束された自由な世界。
多少の構造の違いはあっても、それが階層を外した天上界高次元の本来のあり方であり、宇宙の進化したスペース・ピープル、スター・ピープルの世界のあり方であります。



かつてその理念が一時的に地上に舞い降りた大いなる夢のイベントがこの地上であった。
1970年に大阪千里丘陵に突如として出現した日本最大のイベント『日本万国博覧会』(通称:大阪万博)である。

かつて日本に舞い降りた宇宙の「進歩と調和」の理念

みるみるうちに、世界の最先端のデザインと精神が融合してパビリオンという形となり、プレ・ユートピアの世界が現出したのである。

意識の進んだ多くのスペース・ピープルたちは芸術家である。
この人類は芸術家というと、なにか特別な変わった存在のように思い希少だと認識しているが、それは意識の遅れた世界の認識に過ぎない。
進化した宇宙は、意識は調和した美の精神と一体となっている。
意識は進んでいるが美や調和や芸術についてはよくわからない・・・・などという分裂した分野スペシャリストは進化した宇宙では存在することができないのだ。
なぜならば、進化した宇宙とは、万物が融合され調和された状態でしか存在していないからだ。分裂や不調和や混乱はもちろん外道の知識知性のみしか見られない先進国画一教育は、退化もしくは誤った未進化な状態だからである。

よって進化した調和と融合された世界では、そこにある意識存在はすべて、美的な芸術的感性を内包し、一人一人の個性によって様々な方法で表している。
特別でも何でもなく、それが高次なユートピア世界での当たり前の自然な姿なのだ。
よって、進化したスペース・ピープルたちの介在のあるイベントは、質と内容にもよるが、美的創造に満ち溢れている。

1970年に未開発だった地で開催された日本万国博覧会という世界で最大レベルの芸術的イベントは、宇宙の進化したスペース・ピープルたちと、その魂を持って転生したワンダラーたちの美の創造の顕現イベントでもあった。

そこには、未来の調和した世界における創造物が、無数に表されていたからである。
当時の希少物や最新の発明に、永遠に通じるパビリオンという美の造形創造物。それは、多くの観覧者たちに、未来における人類世界の美と進化と調和について多くの認識と体験を遺し、魂の内奥を啓発した。


各パビリオンは、それぞれ荘厳さ、調和性、伝統性、宇宙的創造性などをさまざまに体現していた。
「みどり館」や「虹の塔」などは、カラーもデザインも共に、宇宙にあるスタンダードにユートピア世界の造形を表していた。

「日本館」や「古河館」などは、伝統を。
「アメリカ館」は近未来技術。
「ソビエト館」は、荘厳さを。
「ガスパビリオン」や「リコー館」は宇宙的な楽しさユーモアを。
そして中心に独特な姿で遊立する「太陽の塔」は、その存在を通して、人類に宇宙の秘密を語りかけていた。生命の50億年の進化の歴史を内包して…。内部地空の淡い分子的生命光の結合のモデルは、まるでDNAのバイオフォトンのようで、とても神秘的だった。

また博覧会場全体を俯瞰するに、調和的に配置された人工的な池や未来的なオブジェクト、周辺を周遊するモノレールは、立体性を演出し、まさに未来のユートピア世界を小さいながらにも顕現していた。
−そこはまさに、進歩と調和という水平ユートピア世界の欠片・断片が、小さいながらもかつて竹林だった丘陵に超人工的に顕現されていたのである。
正統的な未来時空と銀河からのモダンで多彩な優れたユートピア文明文化が、色と姿形とりどりにホログラフィックに投影されていた。

しかしこれは階層世界の儀式や伝統的な祭典ではない。
別に中心にあったシンボル−太陽の塔が上に立って、他のパビリオン群を支配、誘導していたわけではなく、上意下達のピラミッド的システムが動いていたわけではない。
あくまでも太陽の塔は中心的シンボルとして、水平にリング状に個性的なパビリオン群が取り巻き、水平・リング的な無限に開いた調和的ネットワークを顕現していたのだ。宇宙における理想のあり方を、メッセージしていたのである。

そして、光の影として忘れてはならないのは、人類に対する警告の相も微かに寓意的に暗示していたということである。
「太陽の塔」の背後にある第3の顔と言われていた黒い太陽は、何の寓意か、精神的な人には想像できるだろう。わかりますよね。
人類の進歩と調和の裏面の姿である。公害、戦争、原爆そして原子力発電という人類の負の側面の災害を人類の希望と生命の象徴である太陽が黒化した姿として描かれているのである。
そしてその魔光は、触手のように四方八方に広がっている。
これは、人類文明の負のエネルギーや波動は、地球世界に留まらず、宇宙に拡散放出されていくという法則を、無意識寓意として表している。
エネルギーは波動として、人類が想像するよりリアリスティックに宇宙に伝達され、キャッチされている。

人類は、文明の進歩と調和の裏で、負のシステムを開発し作動させて自ら最悪の災いを作り出して、地球自然を汚染し太陽を黒くし宇宙の恵みを地球の大気圏破壊で遮ってはならないと警告している。

太陽の塔のある場所は、お祭り広場と呼ばれていて、長く短い半年間の開催中、各国の各民族のいろんなお祭りが賑わっていました。要するに、世界各国の無形文化の交流の場であったということです。
一つの太陽のもとに、一つの地球というかけがえのない世界で、各民族や国家は進歩の成果として水平的に調和して楽しくすごしなさい という宇宙の意志を見事に表した場であったということでしょう。
日本万国博覧会場は、そのように、宇宙の英知によって無意識的に設計され、宇宙の夢と理想が「人類の進歩と調和」というテーマの下に表されていたのです。

お祭り広場は、まるでエレクトラバーグのホールのようで、各国の並列に並んだ国旗ポールの向こうに、進歩した宇宙からの宇宙円盤の光跡が棚引いているように幻視される。

またもう一つの宇宙未来的な特色として、会場と各パビリオンを彩っていた多くのコンパニオン−当時はホステスと呼ばれていたらしいが−たちの未来的なコスチュームがある。
とてもカラフルでモダンなSF特撮ヒロインとリンクするコスミックなコスチュームは、まさに美の創造のそのものであり、顕現されたデザインやカラーは、宇宙や未来の様々な進化したユートピア文化の理念を洗練して表している。
21世紀の夢の未来社会の文化を描いた『2001年の日本』などに見られるイラストレーター真鍋博の洗練された美男美女の未来的イラストともリンクしているように見える。
またコスミック・スピリチュアル的には、何億年前にいた銀河外の進化した星々から、このようなファッションはずっと続いている感じており、銀河のアカシックレコードで多分見られると思われる。

そのファッションは、宇宙と未来の洗練されたあり方や動きそして理念を美しく表している。





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2012年も一太郎・JUST Suite発売の季節になってきた。
一太郎は,最も長い歴史を持った、世界で最も優れた日本語汎用的多機能なワープロソフトであり,1/4世紀を超えた純和風ソフトである。
一太郎の前身ともいえる日本語処理ソフトを含めると,30年の歳月を向かえる。
こちらのお知らせ等を通じてすばらしいインスピレーションを受けるので,これまでの一太郎とATOKに関しての思い(出)を,ここらでまとめて書いておくことにする。

まず当初からの特徴は、当初からFファンクションや他のキーボードショートカットで,様々な機能を呼び出し操作ができることだ。
そんなことは今では他でもできると思っているだろうが,まだ一般向けにWindows3.0さえも出ていなかった時代に,すでにNECの9801やその前身などではそれは画期的な機能だった。'80年代終わりから'90年代前半にかけてのことだ。

そして同時にインタープリターされているFEPの日本語入力システムATOKの変換も,バージョンごとに改善に向上を重ね,ATOKで難しい長い文章を何枚か打ってみると,その誤変換の少なさと多彩な候補に、初めての人は,驚くだろう。
ATOKから様々な関連機能や資料を呼び出すこともでき,本当にWindowsを使っていた頃は重宝していた。
ATOKは、別に一太郎オンリーではなく,ジャストシステム製品オンリーではなく,OSに関連付けられているので,当たり前のことだが,Windowsは元よりMisrosoft他のアプリケーションでも利用できる。
最近は,OSX用やアンドロイド用のものも出ているようであり,いずれももともと入っているIMEより優れた能力を内蔵し活用できるようだ。
かんたんな文章の誤変換などは論外だが,難しく高度な変換やひねりに対してこそ,真価を発揮するところが素晴らしい。変換辞書は,数年以上前の製品でも、様々な細かい専門分野に分かれており,いずれか複数かを有効にして活用することができる。
またもちろんワープロの一太郎は,Htmlフォーマット保存でホームページの公開もでき,専門的なブログ作成ソフトもこれまで公開され,最新バージョンでは電子書籍e-Pub3.0の規格仕様に準拠しているそうだ。
私も縦書きで電子書籍を作成する必要が出た場合は,他の追随を許さない縦書きで豊富な機能の充実した一太郎で創りたいと考えている。
電子書籍なので,ワープロとしてのテキストの電子化で文章だけがきちんと読めればいいというのは,あまりにも味気なくそっけなく無機的ではないだろうか。
電子文章ではなく,電子書籍なのであれば,最低限の個性的なデザインや本的感覚は必須だろう。



さらにフォトレタッチやドローソフトの花子も,2,3年に一度はバージョンアップしているようだが,細々としてものは毎年かもしれないが、かゆい所に手の届く秀逸な画像ソフトである。
当時他の同価格帯のスタンダードな画像ソフトでは,グラデーションというメニューさえなかった。
花子は,他のジャストシステム製ソフト同様,ヘルプも充実しており,グラデーションに関しても様々なヘルプが関連付けられていて,大いにホームページや画像作成に助かった記憶がある。
他のソフトにグラデーションがあっても、ヘルプに親切に書かれているソフトは,見たことがない。
どうも海外で創られ日本に翻訳されたさまざまなアプリケーションソフトは、ヘルプは日本独自のメニューがあれば別だが,基本はほぼ翻訳で,首尾一貫していず,結局曲がった方向,関係ない方向への誘導ばかりがされてしまって、単純基本な一からの説明はなく、基本からずれて違っているようだ。
このソフトで,○は、できるの?
●は、どういうソフトなの? 自体の基本以前の説明も答えもない。
海外製ソフトのヘルプで満足を得たことより,失望し得られなかったことの方が何倍も多かった。

それに対してジャストシステムの各アプリケーションのヘルプは,そのような意味不明アサッテのロボット的なものではない。
人間が,一からきちんと作って精査している所は,比べ物にならない。
欧米人と日本人の考え方や論理は違うだろう。
欧米のものをほとんど翻訳したものと,日本人が一から作ったものの、どちらが日本人に理解しやすく判りやすく使いやすいかは、一目瞭然のはずだ。
充実していて,手厚いという感じを受けた。また体系的な所も満足感を得られ、全体として人が考えて作っている暖かさ温もりが感じ取れるのだ。



総じて一太郎Office Suiteの各アプリーション群には,海外製にはない日本の和の心の暖かみが感じられる。ATOKは誤変換ストレスが限りなく少なく,一般人にとっては日本語の単語と文章の先生とも言え,統合ソフトは手厚い創りで,和の心の奥に潜む日本人の雅な美意識と自然の素朴さや繊細さ…温和な叡智が宿っている。


私が言いたいことは一つ,日本人なら,一度は日本で生まれ育った優れたソフトを使って,その素晴らしさを実感してほしいということだ。
そして文章を書いて正しく変換して格調ある装丁にして,様々な機能で正確さを確かめて人前に出せる書類やパンフを創ってほしいということだ。
ATOKと一太郎の世界より見えてくるものは,日本語文化の素晴らしさと奥深さを体感することのできる日本人としての充実だ。
これだけ立派な素材が揃えば,素晴らしい成果を出さずにはいられないと決意させられる。
それは海外にも対抗適用できる、コンピューターに載った日本風な立派な書斎とも言える。
一太郎とATOKを知らずして,日本人としてパソコンやワープロを使いこなしたと言うには,不十分であるということである。
一太郎とATOKの素晴らしさを知って,初めて書類を作成する和の醍醐味が味わえるということだろう。

私は日本で生まれ育った、優れたソフトを大切に育み,活用してゆきたい。
それはまた国籍不明な欧米中心のOSの世界における,日本人としての日本語と文章作成を再認識することでもある。
その認識なくして,日本語文化の単語や文章の素晴らしさと雅さ,西洋合わせ飲む調和のステータスをパソコン、ワープロで堪能することはまずできない。

日本人あるいは世界の日本語愛好者は一度は触って、雅な和の繊細さの結晶した暖かい温もりと優秀操作機能を享受してほしい。そして大和国の特性を憶い出してほしい。
四国徳島—鮮やかな藍染めの大河に潤された土壌から出た、日本人に最適化された最高の一太郎Office Suiteは、使用者に和と温もりと充実を与えてくれる。常にITのトレンドを見据えつつ、和と雅の心を持って人と共に成長しているソフトなのだから○


今回出る「一太郎 2012 承 スーパープレミアム」(数年前のパソコン用ソフト総合パッケージ「JUST Suite 200X」の最新版)は、なんと、持ち運び可能な片手で持てる手軽なハンディスキャナーが付いているらしい。(ほんの210g) 絶対ほしい。そして活用し、日本の和と雅と温もりの精神をパソコンを通じてからも堪能し愛して、日本を去りたい。



↑こちらはエクスプローラを超えるファイル管理・確認・活用ソフト「Suite Navi2」の同梱されたデザインの麗しい2009年製ジャストシステム オフィス総合ソフト「JUST Suite 2009」。様々な付加価値的な小ソフトが付いて,価格はMS Officeよりかなり安かったです。もちろん今でも・・・。



「一太郎 2012 承 」シリーズのバージョン違い収録ソフト一覧です●

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